「 キリスト教の献金について 」

キリスト教徒は、収入の幾らかを教会に献金する?献金しなくてはならない?という事は何となしに聞いた事がある人も多いと思います。(私もその1人です)

キリスト教では、聖書に「あなたは毎年、種を蒔いて畑から得る全ての収穫の10分の1を必ず捧げなくてはならない」(昔は今の様に金銭ではなく、穀物等)と記されているのです。(旧約聖書 申命記14章22節)

また、「個々のキリスト教徒は、嫌々ながらではなく、強いられてでもなく、心で決めた通りにしなさい。神は喜んで与える人を愛してくださいます」と記されています。(新約聖書 コリント人への手紙第2 9章7節)

新約聖書 ヘブライ人への手紙7章5節には、「自分の兄弟たちから10分の1を徴収するように律法で命じられています」と記されていますが、初期のキリスト教会においては、10分の1というのは宗教的な目的のために自発的に捧げられていたそうです。

しかし、イエスが犠牲の死を遂げた事により、モーセの律法は廃止され、10分の1を徴収するという掟はなくなったとされています。(新約聖書 ヘブライ人への手紙7章18節)

なぜ10分の1か?というのは、神様への私達の感謝と献身の表現として、私達は全て(10分の10)を神様に捧げると、神様は10分の1を取り、残りの10分の9を私達の生活の為に下さるという意味の様です。

新約聖書 テモテへの手紙第1 6章10節には「金銭を愛する事が、あらゆる悪の根である。ある人たちは金銭を追い求めた為に、信仰から迷い出て多くの苦痛で自分を刺し貫いた」と記されており、新約聖書 ヘブライ人への手紙13節5節には「金銭を愛する生活をせずに、今持っているもので満足しなさい。主ご自身が、私は決してあなたを見放さず、あなたを見捨てないと言われたからです」とも記されています。

では、どれ位の人が収入の10分の1を献金しているか?ですが、教派によって違いがありますが、プロテスタントにおいては、信者の8割近くが10分の1の献金を聖書の教えと見なしてはいるが、実際に収入の10分の1を献金している人は半数だそうです。

キリスト教においての献金は、聖書に記されている事とはいえ強制的なものではなく、仏教寺院においても寄付、献金は強制的なものではないので、気持ちの表れ(聖書の様に記されていないので)という事になりますが、葬儀をインターネットで手配するケースが増えていたりと、宗教や寺院に対する気持ちが薄れているのはとても残念な事です。

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